国際通の人やヨーロッパの人に向かって、「東欧」という言葉を口にすると、「時代遅れ」と思われるかもしれない。「東欧」という地域名は、今では使われなくなってきたからだ。なぜかというと、「東欧」という言葉は、ヨーロッパの東部という地理的な意味合いよりも、東西冷戦を意識した政治的な意味合いが強かったので、東西冷戦が終結し、ドイツの再統一やソ連の解体などを経た今は、使われなくなってきているのである。代わってよく使われるようになったのが、「中欧」という言葉だ。東欧に代わってさかんに使われるようになった「中欧」は、ヨーロッパを、「西」「中」「東」に分けたときの「中」であり、具体的には、ドイツ、オーストリア、ユーゴ北部(おもにスロベニアとクロアチア)、チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランド、リトアニア、ラトヴィア、エストニアを指している。だが、では「中欧」という言葉を使えばいいのかというと、これも難しい。「中欧」という言葉は、ドイツ語の「ミッテル・オイローパ」の訳とされることが多いが、地理的にまんなかという意味なら、ドイツ語では「ツェントラル・オイローパ」になる。「ミッテル・オイローパ」は、歴史的、文化的な意味を強調して用いられている言葉だ。この「中欧」は、かつて、ドイツ帝国、ハプスブルク帝国に統治されたことのある国々で、建築などの文化を共有している。それだけに、ヨーロッパでは、「中欧」の国々も含めて、「ミッテル・オイローパ」という言葉を用いることに反発も強いのである。
海外のホテルには、まだまだ面白い使い方がある。例えば、客室で最も長い時間を過ごすベッドだが、欧米のホテルは日本と違ってサイズが非常に大きい。そもそもホテルのベッドには、次の5種類がある。「・スタンダードシングル970幅(ミリ)・フレンチ(セミダブル)1100〜1200・スタンダードダブル1400〜1500・クイーンサイズ1600〜1700・キングサイズ1800〜2000」このうち、海外のホテルでは最も小さなシングルの部屋でもスタンダードダブルのベッドを使う。というより、欧米のデラックスホテルには、日本でいうシングルという感覚はないのだ。その代わりひとりで泊まる時は、「ダブル」か「ツイン」のシングルユースとなる。また「ダブル」といっても、キングサイズベッドを使っているホテルがある。こうなるとまさにひとりで寝るにはもったいないほどの広さのベッドになるわけだ。「ツイン」にも様々なベッドサイズがある。最も大きなものは、キングサイズベッドをふたつ並べるスタイルだ。この場合、別々に離さずに、ふたつのベッドをくっつけ、上にシーツを敷いてセットするスタイルは「ハリウッド・ツイン」と呼ばれている。これはハリウッドのスターたちが、お忍びでホテルに泊まるときに愛用していた並べ方で、カップルが愛し合う時はひとつの巨大なベッドとして、そしてお互いに離れて眠る時は別々のベッドになって、相手の動きで目を覚ますことがないというスグレモノだ。ホテルによっては、予約の際にこのスタイルを指定するとちゃんと用意しておいてくれるホテルもあるのでリクエストしてみよう。また、リゾート地などに多いコテージタイプのホテルには、ツインベッドのほかに壁の棚を倒すとベッドに早変わりしたり、背もたれを倒すとソファがベッドになったりするエキストラベッドがあり、正しくは「ローラウェイベッド」と呼ばれている。一室をグループで使う際に、この種のベッドを用いる。イギリスの田舎にある地方の領主の館を改造した「マナーハウス」などでは、自分の身長ぐらいの高さを持つベッドが置いてあることがある。これに寝ると空中にフワフワ浮いているような感覚になり、非常によく熟睡できるものだ。ベッドとともに眠る際の必需品である枕だが、これもホテル側に頼めば、様々なタイプのものを持ってきてくれる。よく旅先で「昨夜は枕が変わって眠れなかった」と言う人がいるが、ぼやく暇があったらホテルに頼めばいいだけの話である。海外のホテルには、硬さ、素材、大小など、これでもかというほど様々なタイプの枕が揃っている。それを利用しない手はないのだ。
有田町は陶磁器の町で柿右衛門らの名工、香蘭社といった近代企業まで幅広い。「有田ポーセリンパーク」は東西の陶磁器を扱ったテーマパークだが、シンボルになっているのはマイセン焼の地元であるドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した展示館とバロック風の庭園である。唐津は豊臣時代に寺沢広高が封じられ名護屋城の資材などを活用して築城した。虹の松原と呼ばれる松林が続く海岸と桃山風の華麗な復元天守が美しい。交通の要衝、鳥栖の近くには吉野ケ里遺跡がある。邪馬台国の時代のものらしく、『魏志倭人伝』の記述に合う楼閣の跡のようなものまで出土して話題になった。その後の奈良県纏向遺跡の出土などでまた雲行きが怪しくなったが、発見時はこれで論争も終わりという人までいた。最初は工業団地の予定が駄目になって困っていた県も観光開発に切り替えることになり、想像力豊かに建物を復元し、卑弥呼ロマンとか醤油とか土産物もたくさんできた。十一月のインターナショナル・バルーン・フェスタは一〇〇以上の気球が登場するイベントで、平坦な地形を活かした夢のあるイベントとして成功している。「武士道は死ぬことと見つけたり」とは佐賀藩士だった山本常朝の「葉隠」にある言葉だが、尚武の精神盛んなこの県は自衛隊に入隊する若者の割合が高い。平成の三四郎といわれた柔道の古賀稔彦も佐賀県人。芸能人では村田英雄がこの県の気風にふさわしい。
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